吸い込まれるほどの満月の夜でした。
夜風がまだ冷たくひんやりと私の頬と耳に問いかける。

”まだ大丈夫。
きっとまだ大丈夫。
今夜は。

もしかしたら。
んんん。
そんなことない。
お願い。
連れて行かないで下さい。”

言霊を信じる私は
口に出したくないから大丈夫と言っていただけで
本当はもしかしたらこれが最後になってしまうのではないかと。
そう思いながら
「お父さんまた来るね!」
と出来るだけ元気に言いました。
「気をつけてな」
と酸素マスク越しに聞き取りにくかったけどきっとそう言ってくれてた父。

涙を見せないように
出来るだけいつものように。
そうすることしか思いつかず。

温かい父の手を握って
「また明日ね」

病院を出た夜空にはとても綺麗な満月が私を見下ろしていました。
満月が綺麗なのが妙に居心地悪くて、涙が溢れる。

きっと大丈夫。

家に帰ってララ子の世話で少し気が紛れていつもの時間を過ごして
いつものように布団に入り
いつものように寝る前の瞑想時間。
父の顔が出てきて涙がひとすじ頬を伝う。

その瞬間携帯が鳴り
父の病院からの電話。

震える手に激しく鳴り響くような心臓の鼓動。
「はい」

電話の向こうで看護師さんが
父の状態を慌ただしく話す。
心臓マッサージをしています
延命処置の指示を出して下さいと。
このままでは病院に着くまでもたないことを。

そこから先は神様に
さっき居心地悪いと言った満月に
父の好きな桜の木に
全てに強く願い
どうか父を助けてと。

お父さんまだいかないで!と心で叫びました。

長く長く感じた病院までの道のり。
母と手を握りながら階段を駆け上り廊下を走る。

病室に着いた時には
赤みを無くしはじめた父に心臓マッサージを繰り返す光景。

泣き叫ぶ母と動揺する私。
何が起きているのか。
何なんだこれは。
さっきまでさっきまでは温かかったのに。
何なんだこれはいったい。
そんな時が数秒、数分。

もう楽にしてあげて下さい。

月並みなこの言葉を口にする日が来るとは思っていませんでした。

父は多発性骨髄腫という珍しい病気でした。
自分の予後をきっとよくわかっていた父は
亡くなる一週間前に
今年も桜も花桃も見れるかなぁと呟いていたのを思い出します。
まだ小さな蕾なのに
母に
「今から花桃と桜を見に行こう」
とせがみ
「見れるから大丈夫だよ」と今にも泣き出しそうに笑い飛ばす母。
でも行きたいと言う父を連れて
蕾の桜と蕾の花桃を見に行った二人。

どんな思いだったのか。

辛い闘病から解放された父の寝顔はとても安らかで何故か若々しく
本当に清々しい顔をしていました。

人はいつか死ぬから生きることができる。
人は期限付きの命だから頑張ろうと思える。

生きることと死ぬということを私に真剣に教えてくれた父。

父を送り出す日は桜吹雪が私達を包んでくれていました。
とても居心地良くて
とても綺麗で優しい風でした。

母と姉と私は声を揃えて
「お父さんだ」と
笑顔の涙がこぼれました。

お父さん。
ありがとう!

今年はあの綺麗な花桃を見に行けそうです。

今日やっと父を思い出しても簡単には涙を出さずにいられるようになったから
忘れてしまわないように
急に書きたくなってしまった(笑)

記憶の花に会いに行こう。

写真はミモザの花束ですが、
こちらは同じようにミモザが大好きだった父の命日に
どうしても贈りたいと
インスタからのご注文でした。

花は喜び事だけではなく
その人の記憶になるんだなと。

私の記憶の花はバラがいいな(笑)
おやすみなさい。

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